【伊勢参りと手水舎。右手を清めて再確認した、書道家としての想い】
三重県の伊勢神宮へお参りに行ってきました。
「お伊勢さん」の名で親しまれるこの聖域は、古来より「日本人の心のふるさと」と称され、八百万の神々の中でも特別な場所として崇められてきました。
凛とした空気に包まれ、五十鈴川のせせらぎを聞きながら鳥居をくぐると、自然と背筋が伸びるのを感じました。
参拝の前に立ち寄る手水舎。
左手、右手、口を水で清めるこの作法には、古くから伝わる意味があるそうです。
・左手:精神や心など、内面を整える
・右手:肉体や行動など、現実を動かす力を整える
・口:魂の出入り口であり、言霊を紡ぐ場所を内側から整える
本来は全身を水に浸す「禊(みそぎ)」を簡略化したものですが、書道を生涯の生業とする私にとって、今回は単なる作法以上の大切な時間になりました。
大切なご依頼に応えるための誠実さ
最近とても嬉しい出来事がありました。
私のHPをご覧いただいた方から、直接お電話があり、「あなたの文字を家宝にしたい」と言っていただきました。
私の書いた文字が誰かの目に留まり、心に届いたこと。
その喜びを噛みしめると同時に、「常に綺麗な心と手で、一文字一文字を書いていきたい」という想いが改めて湧いてきました。
その決意を神様の前で新たにするため、私は改めて手水舎で自分を律しました。
「神聖な文字」を扱う書道家としての礼節
書道において、文字は単なる「記録のための記号」ではありません。
日本では古来、言葉には魂が宿る「言霊」があると信じられ、文字は神様への祈りを届ける大切な手段として扱われてきました。
私は、その大切な「文字の力」を借りて、白紙の上に命を吹き込む仕事をしています。
真っ白な紙に、黒い墨を落とす。
それは、何もなかった場所に新しい世界を生み出すような、責任ある尊い瞬間です。
今回、私は手水舎で右手を特に入念に洗いました。
自分の心にある迷いや「上手く書こう」という欲を、一度リセットしたかったからです。
綺麗な心で、純粋な気持ちで筆を握りたい。
それが、長い歴史の中で守られてきた「文字」という存在に対する、私なりの敬意の示し方です。
酷使する右手の感謝と癒やし
私の右手は、日々筆を握り続けています。
しかし最近、右手を酷使しすぎているなと思う場面が多々ありました。
時には痛むことさえあり、身体からのサインを感じていました。
だからこそ、伊勢の清らかな水で右手を労わり、癒やしの時間を与えてあげたかったのです。
自分の一部として共に歩んでくれる右手へ、深い感謝を込めること。
そして、「一生涯の仕事として、この右手を大切に守り抜こう」と、改めて自分自身に誓いました。
書道家として、家宝と呼んでいただける作品を
左手、右手、さらに口。
すべてを清め終えたとき、私の右手は日常の「作業の手」から、祈りを形にする「表現の手」へと戻っていました。
お会いしたことのない依頼者様が、私の文字を「家宝」と呼んでくださるその信頼に応えるために。
伊勢でいただいた清らかな力を右手に宿し、濁りのない心で、魂を込めた最高の一画を紡いでいきたいと思います。
これからも、この右手を大切に労わりながら、濁りのない心でまっすぐに書と向き合っていきたいと思います。
P.S. 結びの地、二見ヶ浦の夫婦岩にて
二見ヶ浦の「夫婦岩」も訪れました。
古来、この地は伊勢参拝の前に身を清める場所とされ、二つの岩が太い注連縄で固く結ばれた姿は、「良き縁を結ぶ」象徴でもあります。
私の文字が、まだ見ぬ誰かとの良きご縁を結ぶ架け橋になればと願っています。
P.S. 結びの地、二見ヶ浦の夫婦岩にて

伊勢参りの締めくくりに、二見ヶ浦の「夫婦岩」を訪れました。
古来、この地は伊勢参拝の前に身を清める場所とされ、二つの岩が太い注連縄で固く結ばれた姿は、「良き縁を結ぶ」象徴でもあります。
私の文字が、まだ見ぬ誰かとの良きご縁を結ぶ架け橋になればと願っています。